出身高校の先生から社会で活躍中の卒業生特集の取材を受けてほしいとご連絡いただきました。
私でよいのかなぁ…?と戸惑いつつも、先生からのお願いに背くことはできません…。
他には、今日もニュースを伝えていらした男性アナウンサー(TBS)さんや、
転校して宝塚の男役として花組の組長を務められた女優さんなども取材されるようです。
朝日新聞の記者の方に東証までお越しいただき、インタビュー取材を受けました。
『私の原点は1年1組女子クラスにある』。
文武両道の校風を地でいくような明朗闊達な女子が多かったこともあり、私たちの代には、共学ながら女子クラスがありました。
インタビュー取材の冒頭は、通称『女クラ』で出会い、30代の若さで他界した友人のエピソードから話し始めました。
その友人は「英語力を生かしてアメリカで起業しビジネスで成功する!」と目標を立て、
いつもその夢を語り、テニス部の練習に励みながらも目標の大学に現役合格し、10年後には夢を実現。
IT系コンサルティング会社をシリコンバレーで設立し、業績も堅調に推移していました。
来日する際には、私と会う時間を作ってくれ、アメリカでのビジネスの様々な話を聞かせてくれました。
大きな夢が実現し始めた道半ばで、その友人は直腸がんで亡くなりました。
今の私は「彼女にしっかり報告できる自分でありたい」という思いを胸に進んでいます。
また、バスケ部に入っていましたが、ポジションがガードでしたので、
この役割で培った経験は、今のキャスターの仕事に繋がっているように思います。
ガードは、他のポジションの動きを瞬時に把握し、シュートに繋げる組立てをしながらプレーする。
ある意味、司令塔であり、選手間を繋ぐ潤滑油の役割を担っています。
時には自分でドリブルシュートを決める瞬間もあります。
キャスターとして、トークセッションや討論番組のモデレーターを務める機会がありますが、
トークセッションを展開する上で、
バスケ部のガードとして会得したスキルは、今も無駄にならずに活かされていると感じます。
そして、政治・経済を体系的に捉えつつ報道していきたいと思い始めていた頃、
同じ「女クラ」出身で、やはりテニス部にいた友人が、文化イベントプロデューサーとして活躍しながらも、
大学院にて学術分野の学びを深めている姿を見て、またその友人からのススメもあり、
私も『報道と学術を繋ぐ』役割を果たせるキャスターになれたら…と、
大学院で学んで研究し、経済学修士を取得しました。
今春から大学教員として、政経学部の講師を務める道に繋がりました。
こうして考えると、
私の原点はすべて『1年1組 女子クラス』にあるなぁ…と感じます。
そんなこんなのお話をさせていただきました。
果たして、どのような記事に仕上げて下さるのか。。。
他者目線の自分のストーリーなのでドキドキです
余談ですが、留学生だったロッキーくんと一緒に映画を観に行く約束をしたエピソードも披露しました。
あの話は反映されるのでしょうか…