『男というものは、必ずしも女に向かって欲望を募らすのではない。
あの女を手に入れることができる自分を偉いと思い込む「自己愛」のために
女を欲望するのである。
世間的な見栄を満たす「勲章」としての女を欲するのだ』
フランス文学者の鹿島茂氏
10月上旬公開予定の『わたしの可愛い人ーシェリ』
(主演/ミシェル・ファイファー)を観て参りました。
2009年ベルリン国際映画祭コンペティション部門出品作品。
20世紀初頭にココット(超高級娼婦)として生きた強くて美しい女性の物語。
「高級娼婦」に成り上がるために必要な要素は『美貌』と『肉体』。
ただ、その条件を満たす美しい女性なら「低級娼婦」にたくさんいたようです。
「高級娼婦」に最も必要不可欠な要素は『知性と教養』だったのだとか。
美貌と肉体に加えて知性と教養が「高級娼婦」の最低条件であり、
どれかが欠けても「完璧な男」はゲットできない。
さらに、愛人の男を取り替えるたびに、わらしべ長者的にステージアップし、
自分の価値をグレードアップさせて
「多額を投じてでもあの女が欲しい」という思いを金満男に起こさせる
地頭の良い女性が『超高級娼婦』の座に君臨することができたとのこと。
この映画を観て、私が最も関心を抱いたのは
ミシェル・ファイファー演じる40代後半の主人公・超高級娼婦の凛とした強さ。
独身を貫き、自分の生き方、進むべき道、恋の決着を自分で決め、
何かにすがることなく、前進していくその姿は、やはり美しい。。。
なかなか真似できない生き方です