昨日、友人の〇〇の神様について記しましたが、
自分自身についても考えてみました。
私はずっと「カンの神様」に助けられてきたので、
その感謝の気持ちを忘れてはいけないなぁ…と改めて思いました。
何かチャンスが生まれた時、その道を進むべきかどうか迷ったら、
私は自分のカンの神様におうかがいを立ててきました。
ですので、全ての道に対して進むと決断するわけではなく、
もしかしたらビッグチャンスになるかもしれない道でも進まなかったり、
それほど可能性が広がらないのでは…という道でも進むことになったり。。。
必ずしもラクな道を選択するわけでもなく、
かと言って、苦労は買ってでもしろとばかりに、いばらの道を選択するわけでもなく。。。
昔から鼻と耳が良かったので 笑、敢えて言うならば嗅覚と聴覚で判断してきたのかもしれません。
それは道もそうですし、人との出会いもそうでした。
例えば、個々人で会って話したり、場合によってはプロジェクトを進めたりする関係性の中で
お互いの共感値が高く良好な関係が築けていても、
他の人物が加わったり、チームで動くようになったり、外からの意見が入ったりすると、
また別の要素の共感が生まれることにより、
必ずしも、自分のカンだけに頼れない状況、つまりカンの神様の前髪をつかめずにカンが鈍ってしまう状況が生まれます。
そしてその兆候は、食事会や飲み会など、各々の素が出る場面で顕著に現れ、
そういった場こそ、各々の本音が吐露される機会になるので、
私は、記憶としてストックしておくことにしています。
そうすることで、まず私が相手に迷惑をかけたり不快にさせたりすることは軽減できますし、
併せて、自分のカンに頼りたい時に、道を拓きやすい環境を作ることができるのです。
オフィシャルな場での言葉や行動も、もちろんその人自身ではありますが、
箍が外れた時に出る本音の部分こそ、その人の大切なポイントだったり、
場合によっては地雷だったり。。。
これは私が3000人取材を通して得た教訓でもあります。
但し、自分が得た数々のストックは自身の中で留めておくべきであり、
他言してはいけません…。
それをしてしまうと、陰での噂話になってしまうからです。
どうしても必要な時や、困った時に本当に信頼できる人にだけ、
打開策を得るために一部だけ伝えることが大切です。
こう考えていくと、一見、カンの神様にたよっているようでも、
そこに至る過程で意外にも熟慮している自分に気づきました。
よく、舞台に登壇するプロの方々が
本番前まで何百通りもの訓練をしてイメージを作っていても、
『実際の本番ではその場のカンと感覚に委ねる』とおっしゃいますが、
現実もそれに近いものがあるのかもしれません。。。
(私の中で起こっていることはそんな大それたものではありませんが…笑)。
今後の道を進むにあたり、自身の整理と裏付けをまとめておくことにしました。
そして、カンの神様に感謝する気持ちを忘れずに…☆